こんにちわ。
ぽんちゃんです。
今日は、
共依存体質だった頃の私の話をしたいと思います。
共依存体質?なんじゃそれ?って思う人といると思いますが、世の中にはこういう人がいるんだなーって知ってもらえるとうれしいです。
私は幼少期、人格が形成される時期に、両親に「自己を確立できるだけの自尊心」「無条件の自分を受け入れられる自己肯定感」を十分に育んでもらえませんでした。
その結果、
「自分は自分のままでは生きる価値なし。
でも誰かの役に立ってるんだから、自分には生きる価値が
あるんだ!」というすり替え思考になってしまいました。
他人を世話する事に自分の生きる意味を依存する。
この思考になるのが、共依存体質です。
簡単に言うと
「誰かの役に立っていると感じられなくては死んでしまう病」って感じ。
こうなると、
「誰かの役に立つこと」が生きるモチベーションになり、献身的に尽くせる特定の相手(依存者)を探します。
そして、
依存者の困り事を見過ごす事に超絶罪悪感を感じ、もっと役に立つことしなくちゃ!という全く意味不明の使命感に燃え上がるようになりますw
物事の判断基準も「私が」ではなく「依存者が」どう思うか?という身のつくしっぷり涙が出ますね(;∀;)
「自分」を持ってる人からしたら、なんてバカらしいと思われるかも知れませんが、
本当に全ての思考は「依存者がどう思うか」ということに集中します。
そして、「私がいないとだめ」な状況を作り上げる為に、めちゃめちゃ献身的になり「いいように使われる」という墓穴をストイックにどんどん掘っていきますw
で、
抜け出すのにめっちゃくちゃ苦労しました
(長くなるので苦労したお話はまた今度書きますw)
この体質に気づいたキッカケは、
妹から「お姉ちゃんは、なんでこんなに依存者の機嫌を取るの?昔はもっと自由で人の事なんか気にしないタイプの人間だった。本当の自分を出せない人と何故一緒にいるのか?」と聞かれたこと。
そう聞かれると、確かに。
昔の自分はこんなじゃなかった。
もっと自由で楽しかったな。なんで今はこんなに息苦しい
思いをしながら生きてるのかな?といろんな疑問が湧いて
きました。
自分の事なのに理由を考えてもわからないことばかり。
そりゃそうですね。だって自分軸で生きてきてなかったから。でもその時の私は本当にただただ不思議で、釈然としない思いに苛まれていました。
そんな感じでもやもやしていたら、ふと「この疑問が晴れれば自分らしく生きられる気がする。本当の自分を取り戻せる気がする」そう思いました。私は答えを探しました。引っ掛かりそうなワードで検索しまくり、これか?と思う関連書籍を買い漁り、調べて調べて調べまくりました。
そして、自分が共依存体質だっていう事に気づきました。
目から鱗。青天の霹靂とはこのこと。ほんとに衝撃をうけました。
子供の頃の私は、父親に何をやっても認めてもらえず「お前はダメだ」と言われ続けました。
ダメダメ言われて腹が立っていっぱい泣いたけど、慣れてくると腹が立つこともなくなり、漠然と「自分はダメ人間なんだろうな」と思っていました。
母の教えは、
「苦労・我慢こそが美徳。女は尽くしてなんぼ。お前たちも楽せず同じ苦労をして生きるべき」でした。
当然、私はそれが当たり前だと思ってたし、世の中の人も皆そうだと思ってました。
でも
違うじゃーーーーーーん!!!
全然違うじゃん!
みんな、自分の幸せを考えて生きてるじゃん!!
苦労なんて美徳じゃないじゃん!!
私、ダメ人間じゃないじゃん!!
「私の親、間違ってるじゃん!!」
「今までの私の我慢何だったんだよ!?」
もっと早く、「親を疑う」っていう概念(普通に育ったら普通にもってるやつです)を獲得してたら・・・。
と、今更そんなことを嘆いても仕方ないのでw
目覚めた私は、私なりに今日も楽しく生きています。
もし、これを読んでくれている人が、
今、他人の為に生きる事にモチベーションを感じていたら
それは間違いです。
(人助けしちゃダメって意味じゃないですよ。ソレとコレとは別問題です)
「自分さえ我慢すれば丸く収まる」とか「他人の期待を裏切ってはいけない」とかっていう考えに囚われないで欲しいです。
誰もあなたの我慢に気づかないし、他人の期待なんて、勝手にしてくるだけで知ったこっちゃないのです。
私がしたような息苦しい生き方をして欲しくないです。
自分を大切にして欲しいです。
簡単に考え方を変えるのは難しいけど・・・もっと自分が幸せになることにフォーカスして生きて行きましょう!
その方が全然楽しいし、世界も広がります。
長文、最後までお読みいただきありがとうございました。
少しでもお役に立てれば嬉しいです(⋆ᵕᴗᵕ⋆)。
そんじゃあまたね!
しーゆー!
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